何が何でもネムイ時の解消法 [日記]
記憶力が落ちたら、オリジナルの記憶法を考えるのも良い。 [日記]
最近、年を取ってしまったせいか、
ふとした時に、持っていたものを急になくしてしまい、
さっきまで使っていたのに、置いた場所を忘れてしまう。
とんと、記憶力が弱くなってきた。
本当に、私の記憶力は低下しているのだろうか、
計測器があれば測定したいものだ。
そういえば、学生のころに比べ、意欲がなくなったと言うか、
あえて記憶しようとする努力を、最近ではあまりしなくなった。
意欲がなくなったという言い方をしているが、
単なる、記憶行為に対してのサボタージュである。
努めて、努力をして、覚える必要がある。
同じ文章でも、1回だけ読んだと時と、
5回、6回と繰り返し読んだ時とでは、
読み取る意味も深くなり、 回を追うごとに、
忘れにくくなり、反対に興味が湧いてくることさえある。
また、関連の単語も浮かんでくる。
そして、別の素晴らしい世界に連れて行ってくれることもある。
そこで、このようなことから学んだことは、
物忘れの予防は、1回の読み取りだけでなく、
1回より2回と、回数を増やして読むべきである。
特に覚えておきたい文章などは
3回、4回と、先ず、繰り返して読むなどの記憶法をためしてみよう。
今後、折りに触れ、記憶する努力は、努めて行っていきたい。
時には、昨日覚えたことを、無理して、思い出す訓練をして、
実際に、確かめるてみるのも効果的である。
その時の周りの状況、時間、そこに居た人、目に写った景色なども
併わせて、思い出す努力をして見る。
そして、自分だけのオリジナルな記憶法を作ってもいいと思う。
、
昨日、読んだ文章を記憶の中から引っ張り出すのも、
よい作業だと思う今日このごろである。
繰返えし努力して、自分だけのワザを身に付けたい。 [日記]
私は、何をしても、そんなに素早いほうではない。
何をやっても、他人よりうまくやったり、
素早く出来たことがあまりなかった。
仕事など、作業の手順も、なかなか速くは覚えられないし、
いつも、他人の後か、良くて中くらいの成績である。
もっと、悪いことには、
他人を出し抜こうとか、他人より良い成績を残したいとかの欲があまりなかった。
他人に良い成績を取られ、自分はその後でも、
あの人は才能もあり、努力もしているから当然だと考えてしまう。
悔しいと思ったことがなかった。
よく同僚からも「お前は悔しくないのか!
本気でやればお前のほうが上なのに、惜しいやつだ!」
とよく言われるが、あまり気にはならなかった。
また、初めに何かやる時も、
難しそうなものは、成績もあまり良くない。
そんな時、自分は、自分が少しばかり出来なくても、
あまり気にならなかった。
今まで、十分に身につくまで、
繰り返し行っていたかというと、あまりなくて、
数回の試みでやめていた。
自分って覚えが悪いから無理なんだろうなと思い、
ある意味で素直に、あきらめていた事が多い。
大きな意味で、くくってしまえば、
作業の覚えが良い人も、悪い人も、あまり大差はないと考えていた。
外国人から難しいといわれている、
日本語特有の細かいニュアンスなどでも、
日本人の自分なら、良くわかるし、不自由したことがない。
家から学校や会社までの道順をについても、
引っ越してきたばかりとか、初めての人には難しいが、
毎日通い慣れている人にとって、
間違える人はめったにいない。
作業の手順を覚えるには、
この原理を応用し、何回も何回も
繰り返し繰り返し行ってみて、
自分の身体に定着させればよいと考えられる。
あの素晴らしい日本古来の織物や陶器など、
すべての製品は、作業される職人の、
繰り返し繰り返しの職人技から生まれている。
自分も簡単にあきらめずに、必要な作業は、身に付くまで、
努力して行かなくてはいけないと本気で考えた。
と同時に、
「自分の得意ワザはこれだ!!このワザだけは誰にも負けない!!」
といったものを努力して、時間をかけて磨いて、
自分だけのワザを獲得したいと考えました。
日本ハム大谷翔平選手と 死球との関係について考えると・・・・2 [最近の話題]
前ページからの続きです。
今回は、大谷翔平選手の与死球や、被死球を中心に
プロ野球でのデータを見てみますと
2013年から2015年までの3年間の成績です。
投手としての成績は
59試合登板して、29勝9敗
完投 ; 8
完封勝ち: 5
被安打 : 282
被本塁打: 18
奪三振 : 421
与四球 : 136
与死球 : 15
と死球に関しては3年間で59試合登板して、15と、年間5件です。
他の投手と比較して少ない方だと思います。
また、打者として、相手投手から受けた被死球について見てみますと、
2013年から2015年までの3年間の打者としての成績は、
試合数 : 234に出場していて、
打席数 : 557
打数 : 510
打率 : 0.245
得点 : 61
安打 : 125
二塁打 : 36
三塁打 : 2
本塁打 : 18
打点 : 68
盗塁 : 6
四球 : 41
死球 : 1
と、抜群の受けた被死球の成績です。
死球を受けたのは3年間で、たったの1回です。
その貴重な1回は、2013年7月9日に田中将大投手から受けたもので、
大谷翔平打者が受けた死球がこれなのです。
この3年間で、たったの1回だったでしたが、とても印象的でした。
多分、あの時は、大谷翔平打者はストレートで、きたなと待ち構えていたのですが、
田中将大投手の変化球カットボールに、
タイミングが合わずに避け切れなかったのではないかと言われています。
しかし3年間で、このたったの1回は少なすぎます。
この被死球か少ないという理由は多くの方が自説を多く語ってくれています。
その中で、大きく2つにわけられましので、この件の理由を上げてみますと、
大谷選手はピッチャーだから、相手が遠慮している。
各球団も大谷選手は日本の宝だから、デットボールにならないように気をつけている。
などの意見が多く出ていました。
また、大谷選手の打者としての立場から意見をいう方もいて、
大谷選手は身長、腕の長さが長いので、懐が深くデットボールを受けにくい。
大谷選手は天性の勘で、デットボールを避ける技術を体得している。
だから、デットボールをあまり受けないのではないか・・・・
等々、様々な諸説があるそうですが皆さんは、どう思いますか。
この議論は折りに触れ時に触れ、再燃しそうです。
このように本当に聞こえてくる意見を聞くのも、またファンとして楽しみですね。
今日も、最後まで読んでいただき有り難うございました。
日本ハム大谷翔平選手と 死球との関係について考えると・・・・ [最近の話題]
日本ハム大谷翔平選手と 死球との関係について考えてみます。
日本ハム大谷翔平選手といえば、
最初から、プロ野球へは北海道日本ハムファイターズに入団した選手で、
ポジションは右投げの投手であり、
日本プロ野球では162km/hの最速投手であることは皆さんの、ご存知のとおりです。
また大谷翔平選手は
プロ野球ではとても珍しい右投げ左打ちの出来る
投手と打者として活躍できる「二刀流」選手としてとても注目されています。
最近の日本ハム大谷翔平選はキャンプに入っていて、
米アリゾナ州ピオリアで始まり、
2月15日までの約2週間、アリゾナ春季キャンプを行い、
17日からは例年どおり、沖縄・名護で二次キャンプに入っています。
少し昔を思い起こしますと、何と言っても、
2013年6月13日に日本ハム対広島戦で、大谷選手が広島のエルドレッドに死球を与えた時、
それを見ただけにとても印象的だったのです。
また、昨年の世界野球WBSCプレミア12での対韓国戦では
日本のエース・大谷投手として出場して、韓国を相手に投げました。
韓国は彼に圧倒され、打ち崩せず零封負けを喫してしまいました。
準決勝では、大谷投手との再戦に雪辱に燃える韓国選手たちを相手に、
韓国代表で4番を担う李大浩イデホ(ソフトバンク)選手に
死球を与えてしまったものの、後続が続かず、
大谷投手の投げた8回までは、無得点に抑えたのがとても、印象的でしたね。
など、など、大谷投手の投げた死球はいずれも、印象に残るものでした。
次回は、与えた死球と、打者として受けた死球についても
データーを交えて書いていきますね。
今日も、最後まで読んでいただき有り難うございました。
最近の子供たちにスポーツや絵を描く習慣や趣味を育ててあげたい [日記]
最近、近所の子供と話す事が多い。
そして何か違和感という、何かおかしな雰囲気を感じることがある。
おしなべて、良い子であるが、
答えが同じで、正解内見だらけで、全くつまらない。
もっと違う意見がったほうが面白いのに。
無難な意見が多い。
それは最近の学校教育では、
体育とか、美術の時間が少なくなったようである。
これらの時間は、成長期の子供にとって、
健全な能力アップに必須なもので、
絶対に欠かせないものである。
絵を描くのが好きなその子にとって、
感性を育てる絶好の機会でもあるし、、
とても、大切な科目であるにも関わらず、
授業時間がどんどん削られているとか。
嘆かわしい現象である。
学校側の事情で、少しでも実績を挙げなくてはいけないというか、
受験合格率をあげなくてはいけないようだが、
正解探しのための授業は予備校に任せるべきだと思う。
学校教育における、体育や美術の時間は、
成長期の学生の脳力を上げるには、
必要不可欠である。
不確実の将来に立ち向かえるのは、
基本的な企画力や想像力や発想力など、
また身体の健全な発達には
欠かすことが出来ない。
せめて、子供と一緒にキャッチボールをしたり、
各自のおもいのまま絵を描かせたり、
その子供の独自の物語作りなど、
また、その事について話したりする事は不可欠なことでもあるし、
自分の周りでは大いに勧めていきたい。
スポーツや絵を描く習慣や趣味などは、
空間認知脳力をあげるのに本当に効果的である。
健全な精神は健全な身体に宿る。
この言葉をこれからの子供のひとり一人に、
等しく贈ってあげたいし、
そのための必要な時間を確保してあげたい。
現に子どもと遊んでいて、痛切に感じたことである。
ロッテ・涌井が押切もえと付き合う! 「結婚することになるかもしれません。」 [最近の話題]
ロッテ・涌井が押切もえと付き合う! 「結婚することになるかもしれません。」と
朝のテレビ報道によると、
17日、プロ野球のロッテに所属している涌井秀章投手(29)が、
モデルの押切もえ(36)と交際していることが分かった。
石垣島キャンプのグラウンドの脇で、ロッテ・涌井が記者たちに話をしたようです。
記者たちに「真剣に交際しています。あたたかく見守ってもらいたいです。」
とさわやかな面持ちでハッキリと応えていたということです。
ロッテ・涌井と押切もえは3年前に知人が間に入って紹介され、
その後、涌井投手の猛アプローチが続いたため、
昨年9月に本格的な交際に発展したようだ。
15日には押切もえがイベント会場で「両思いの人がいます」
と控えめながら明かしてくれました。
これからは結婚を意識した交際となるので、
このビッグカップルの恋の行方に、ファンの皆さんの注目が集まると思われます。
ロッテ・涌井は、昨シーズンはエースとして完全復活を果たしたが、
その原動力になっていたのが押切もえと付き合う事によるもので、
押切への愛情の現れではないかと思われます。
また、ブロガーのあいだでの噂では、
押切もえのブログに手料理の記事がここかしこに記載されていて、
野球選手の体力づくりのためか、
筋肉に良くて太らない料理が多くなっているとのことです。
もしかして「アスリート料理」7日、その料理の多くは、
ロッテ・涌井選手に振る舞った料理なのではないかと思ってしまいますね。
そこで、アメブロの押切もえのオフィシャルブログを訪ねてみましたら
記載された日時は、2016-02-17NEW ! と記入れていました。
トップページの記事タイトルは「いつも応援してくださるみなさまへ。」というタイトルで、
その内容は「いつも応援してくださるみなさまへご報告があります。
新聞の記事にありましたように、私、押切もえは
涌井秀章さんとお付合いしております。
付合い始めてまだ日も浅いので、
どうか暖かく見守って頂けると嬉しいです。
これからもどうぞ宜しくお願い致します。 」
とさわやかな挨拶文が記載されていました。
とても 好感のもてるカップルです。
いつまでも、応援しているよ!
この幸せなカップルの行く末を温かく見守っていきたいと思いました。
今日も、最後まで読んでいただき有り難うございました。
清原容疑者にクスリ譲渡密売で、群馬コンビニ駐車の男が逮捕される [最近の話題]
清原容疑者にクスリ譲渡密売で、群馬コンビニ駐車の男が逮捕される。
今朝のテレビ報道で知ったのですが、
元プロ野球選手の清原和博容疑者(48)が覚醒剤所持で逮捕された事件で、
昨日2月15日、警視庁組織犯罪対策5課が
清原容疑者にクスリ譲渡密売していた
群馬県みどり市笠懸町の無職、小林和之容疑者(44)を逮捕しました。
しかし、逮捕された小林和之容疑者は「全く知らない」といって、
クスリ譲渡密売容疑を否認しているようです。
ついに、ラッキーなことに、
清原容疑者にクスリ譲渡密売した男が逮捕されたのです。
ですが、まだ油断はできません。 当人は残念なことに、自供はしていません。
ついに逮捕にまで至った決定的な、その場所は、1月31日の夜、
群馬県太田市のコンビニエンスストアの駐車場の中で行われました。
そのコンビニエンスストアの駐車場に駐車中の車内で
クスリ譲渡密売が行われ、
覚醒剤0・2グラムを現金4万円で小林和之容疑者から清原容疑者に
譲渡密売があった報道されています。
かねてから、警視庁は逮捕状を取って小林容疑者の行方を追い、
ついには立ち回り先の沖縄県内で待ち構えていて身柄を確保し、逮捕したのです。
本当に良かったと思います。
捜査関係者の話によると、清原容疑者が深夜に自ら車を運転して
群馬県内や栃木県に数回行き、
小林容疑者と接触して、覚醒剤を入手する現場を複数回確認していて、
今回の逮捕に結びつけたようです。
なんでも、清原容疑者の群馬県内や栃木県方面での行動を追うとともに、
合わせて、同じ方向に向かう密売人の追跡していて、
その存在を確認しつつ、その行方を追っていたようです。
清原容疑者は自らのクスリ(覚醒剤)の所持容疑を認めていて
「腕に注射したり、またはガラスパイプであぶって、覚醒剤を吸っていたりしていた」と
その使用についても供述していましたが、
覚醒剤の具体的な入手先はガンとして、口を開かず、
覚醒剤の入手先については、今も明らかにしていなかったようです。
ファンとしては清原選手のPL学園時代の 甲子園での
目の覚めるようなホームランが自分の記憶の中から、忘れることができなかった。
また、プロになっても西部、巨人、オリックスの時も応援をしていた時代が懐かしい。
清原は記録よりも、記憶に残るバッターとして、忘れられない野球人だ。
惜しい人ダ!
どうか、罪を償って、薬物中毒を克服し、普通の人になって、出なおして欲しい。
清原和博選手!何事も克服して、。戻ってこい!!
頑張れ!!